昭和45年1月3日 夜の御理解


 御祈念前に時間がないといけないから,教主様が年頭に,年頭放送(    ?    )大体は,4日の日になさるらしいですね。  1月4日。だから明日ですけど,ここでは頂かれませんから,6時40・・6時20分に、(      ?        )頂いておりましたから読ませていただきます。「年頭に思う」と「教主年頭放送」と昭和45年。 『新しい年を迎えまして、おめでとうございます。年が、改まったのでございますが、年が改まったという事は、その中身である私自身がおおいに、改まらねば、ならぬことと思うております。足らぬことの「おいい?」、いたらぬことの「おいい?」、「おいい?」なかに、私は、「おいいおいい?」を心の足りないという事について、いっそう気をつけて、改まってまいりたいと願うております。ありがたいと思い、もったいないと思い、感謝し、お礼を言う心持ちは、誰でも持っておるのでございますが、とかくその時、その場の我情我欲に抑えられると申しますか、妨げられるといいますか、素直に感謝し、心からお礼を言う事が、なかなか出来にくいものでございます。困ることが多く、足りない事だらけで、とかく、不平不満の、おきやすい日々の生活も、実はその根底において、天地のお恵み、人類社会の恩恵に、しっかりと支えられているのでありまして、限りない、過去から、今日にいたる全てのもの、全ての人のお働きを頂いてこそ、今日の我々の生活が、成り立っておるのであります。年々、再々、新たなる年を迎えるたびに、改めてそのことを、しみじみ思わせられるのでございますが、その恵みの全てに対して、ただ、心でありがたいと思うだけでなく、自分の生活の現場で、御礼の実を表しているであろうか、ということを、考えてみますと、真に足らぬだらけの、自分であることに、きずかされるのでございます。毎日使わせてもらっている、歯ブラシ一つでも、使えなくなると新しいのと取り替えますが、取り替えますときに、今まで使わせてもらっていた、そのお礼を言う事を、忘れがちであります。礼を言う、感謝する心持ちは、持っておりましても、実際のことにあたって、十分、心を尽くして、その実を表していないことを、反省させられておるのでございます。家を建て替えるのでも、古い家を取り壊して、新しい家を建てるのでございますが、その古い家を壊すときに、今まで住まわせてもらったことを感謝し、家に対して長い間、お世話になってありがとうございましたと、口に出して言う、言わんは別といたしまして、心からお礼を申させてもらいたい、古くなった、役に立たんとか、不便で困るとか、不衛生でいけないなどと、足りないことばかりに力が入って、長年雨風をしのばせてもらえ、お世話になってきたそのお礼を、申し上げるほうの心が、とかくお留守になっていると申しますか、足らぬことになりがちであります。こんなことが、毎日の生活の中で、人に対し、物に対し、いろいろあると思います。実意を込めて、礼を言う心持ちを表していく努力と、願いの足りないことを改めて深く思わせられているのでございます。私の父が、お礼を申しても、お礼を申しても、お礼を申し尽くせぬ、お礼を申すことも、足りないそのお詫びばかりしておると申しましたが、そのことが、(  ?  )として、重ねてまいりますにつれて、段々深く思わせられるようになってまいりました。私は、幼い孫に対しましても、障子ひとつ閉めてくださいと、頼んで閉めてもらいましたときには、心から、ありがとうと、御礼を言う稽古をさせてもろうておるのでございます。不平不満に思う事が、多くなりますと、御礼を言う心持ちが減っていくというか、御礼を言う心が動かなくなるような気がいたします。お互いに、礼を言う心持ちが、働きあうと言う事が、生活を、明るくさえ、変えていくのだと思っております。衣、食、住、生活に前面にわたって、全てに対して礼を言う心持ちを持って、接していきたいものでございます。これがなければ困る、これがあるから助かるのだと、礼を言う心持ちで、接する天地の恵、あらゆる恩恵の中にあっての生活でありますから、礼を言う心持ちを持って接していく、その稽古をくり返し、くり返し、させてもらいつずけていかねばならんと、しみじみ思うのでございます。不平不満が多くなってまいりますと、先にも申しましたように、礼を言う心持ちが減っている。礼を言う心持ちが多くなってまいりますと、不平不満が減っていく。私には、そのように思われるのでございます。不平不満が多くなってまいりますと、生活が乱れ、暗くなっていくようであります。礼を言う心持ちが多くなればなるほど、生活が明るく豊かになってまいるようでございます。このように、自分自身に言い聞かせながら、毎日毎日を、(  ?  )手元を大切にして、新しく稽古をさせていただいて、いただきたい。生活の現場でその稽古を続けていきたいと願うておるのでございます。私は、「信心するものは、気の切りかぶに腰を下ろして休んでも立つときには礼を言う心持ちになれよ。」信心するものは木の切りかぶに腰を下ろしても、休んでも、立つときには御礼を言う心持ちになれよ、という教えを頂いておりますことを心からありがたいことに思うております。大切な本年の年頭にあたりまして、私は改めて、この御教えを忘れない生活を、続けてまいりたいと願うておるものでございます。』と。 教主様がこのように、この年頭のご挨拶をなさるという事でございますから、本当に私どもここんところに焦点を置いてですね、いつもここんとこ頂くとこですけれども、木の切りかぶに腰を下ろしても立つときには礼を言う心持ちになる、 その心持ちになることがですね、やはりおかげを頂く元ですからね、 どうぞ。